あなたにこもっと!
こもっと編集長の山田です。
学生時代を周りと同じように生きられなかったとして、
その後のバイトの面接や、受験等々の面接の際にでも、
結局マイナスとしてしかそれを語る事が出来ないような社会って
やっぱり変だと思うんですよね。
ちょっと色んな事で悩み過ぎて・・・
仕事も続かなくて、ちょっと自分を追求するような人生を
歩まざるを得なくなった人がいたとして、
精神疾患10年、20年・・・そしてようやく何かを見つけた!
そんな人が30代40代50代から動き出したとして・・・
やはりマイナスとしてしか空白期間を受け止めてもらえないような社会って
僕は変だと思っちゃうんですよね。
順風満帆、何事もなく生きてきた人よりも
数奇な運命としか言えない環境、自身の状態、
何とも困難で、重たい日々を過ごしてきた人の方が
話す事も含め、日々の意識、振る舞い、全てが魅力的に感じる。
まあ、これは僕の価値観でもありますけどね・・・w
さて、話を単純なところに戻しますが、
冒頭のちょっとした文章に注目して欲しいんですが、
学生時代を周りと同じように生きられなかったとして・・・
多くの精神疾患の方、精神障がいの方の人生、
また、何とも思い通りにならない日々を送ってらっしゃる方の人生、
お話をカウンセリングなどで伺うと、何かしらの負の連鎖の始まりがある。
発達心理学の観点で言えば、幼少期、生まれた場所から
学ぶべきことがそこにあり、例えば虐待やネグレクトを受ければ、
それ自体が歪み、その後の人格形成や人間関係形成に影響が出てくる。
つまり、
何か抗いきれない負が起こった時から、
人生が妙な迷い道に入り込むって事です。
では、例えば・・・社会全体がそれらの事を問題としてではなく、
普通に捉えてくれたらどうなるだろう???
僕の言う【普通】っていうのは・・・
人として【普通】って事です。
虐待を受けた子供がいたとして・・・可哀想・・・
って、止めてくんねぇかなぁ・・・?って事なんです。
勿論、つらい、苦しい、大変、大きな傷を抱えている・・・
それはあるでしょう。
たださ・・・
支援員的な第三者が目でも潤ませながら、
「可哀想・・・」なんて呟いたら、
その子の幼少期は
可哀想な、不幸なスタート確定なんですよ。
今の日本じゃあり得ないけど・・・
虐待受けた子供に対してに限らず、
何かしら、ちょっと一般と違う生き方を
せざるを得なかった誰かを前にした時にさ、
「そっかぁ・・・大変だったなぁ。君は大物になるぞ!」
なんて、
笑顔で確信的に伝えられる人が居たらどうだろう?
今の日本じゃあり得ないと思うけどね・・・w
もう辛いっ!!!もう嫌だっ!!!死にたいっ!!!!
そういう言葉を今、言わざるを得ないのは、
過去の何処かから始まった迷い道の中にい今現在も居るからだよね。
「そっか・・・そんな中でここに辿り着いたんだね。
すげぇや!きっと、何かこの先に素敵な事が待ってるんだよ!」
そう言い切れる支援員、医師ってどれぐらいいます?
僕が知る限り、本当に皆無と言っていい程、居ない!!!
だから、
虐待を受けた子はその後の人生も何だか不穏になり易いままだし、
不登校も問題として考えられるままだし、引きこもりだって、
精神疾患、精神障がいだって、マイナスでしかないんですよね。
僕がこれからやりたいのは、
社会的に見たら、普通じゃねぇ!っていう人生を
歩んできた人が、そういう人だからこそ
サクセスするという例をめちゃくちゃわかりやすく社会に
どんっ!と提示する事だ。
そして、
今現在、
生まれた環境を理由に・・・
学生時代などの友人関係を理由に・・・
病、障がいを理由に・・・
人生を見限ってる人達に対して、強烈なアンチテーゼをぶち上げるんだ!
僕が理想として描く世界では
虐待を受けても強く生きている子は
その強く生きている事自体が価値になり、
その環境に生まれた事が才能と認められる。
不登校もそれ自体が進路となり、不登校だから就職できる場がある。
引きこもりだってそうだ。
精神疾患、精神障がいと向き合い続け、健常者よりも内観に長けてる方々は
それこそ、いのちの電話やら障がい福祉に大いに関わればいい。
頭でっかちの、高学歴な野郎達で作って来たのが今の世の中なんだろ?
もう、壊れてるよ。頭良すぎて、逆に抜けられなくなってるよ。
そんな事を考えてるよ。金にならない事ばかり・・・。
様々な事業者、窓口とあなたが適切に出逢えますように
こもっと!頑張らせていただきます。