
あなたにこもっと!
こもっと編集長の山田です。
「この子は我慢が出来ないから、とにかく保護してもらえたら・・・」
「もうこの子は良くならないと思うんで、ちょっと無理かもしれない。」
「うちの子はバカだから・・・今の説明も理解出来てないと思います。」
我が子を見限り、力ない微笑みを口に浮かべながらそう語る親の姿。
数多く見てきました。
不登校問題でご自宅にあがらせていただく時なんかは
まだ6,7割程度ですが、8050問題や
精神疾患、精神障がいであるお子さんとの関わりの長いご家庭だと
ほぼ9割以上の親御さんが・・・
実際にお子さんが横にいる状態で上記の様な言葉を言い切る。
そういう親御さんの様子を目の前にすると、
メンタルケアの人間である僕はついつい
お子さんの気持ちを確かめたくなってしまう。
今、お母さん(お父さん)が、あなたには〇〇だから無理だって
おっしゃってましたが、あなたはそれを聞いてどう思います?
勿論、親御さんが目の前にいて言いづらいかもしれませんが・・・
と前置きを入れたり、これを聴くからには僕自身が全ての返しを
しっかりと回収できる準備、心持ちがある状態で行います。
色んな返しのパターンが当然ありますが・・・
最も多いのは・・・
「お母さん(お父さん)の言う通りです・・・。」
と。
理由も述べてくださるんですが、
僕の耳にはそれが文字としては流れてくるものの・・・
頭では最早、受け入れるべきものとしては響いて来ない。
何故なら、
今日、僕と出逢った事実や、この場所に出逢った事実を完全に無視した
【今まで通り】を重視した上での言葉だからだ。

気持ちもわかる。
だけど、
【今まで通り】を重要視した最たる結果が
8050問題に代表される決裂した親子関係、
歪んだ親子関係、悪い意味で影響をゼロにした関係である事を
僕は知っている。
この先に親子共に望ましく思えるものが存在しない事を知っている。
不登校問題なんかで学校側と親御さんの間に
立たせてもらったこともありますが、
様々なケースがあるので一様には言えませんが、
親御さんが学校側に要求するものを口にする際、
自然と得手不得手の話が出て来たりします。
無論、そこに至るには様々な親子のやりとりがあったと
大前提、加味した上で・・・その親御さんの訴えを僕は聴きます。
「集団行動が苦手なんで・・・。」
うちの長男もそうですからよくわかりますw
でもね・・・集団行動が苦手・・・だから、なんなんでしょう?
それに合理的配慮を求めるんだとして・・・その先にある世界は?
周りが気を遣い、集団行動とは別行動を常に取らせ続けられている
我が子の姿が望ましい姿なんでしょうか?
お子さんはきっと無理矢理集団行動を取らされるよりは
楽な状態にはなるとは思いますが、
周りと違う自分・・・認識の仕方次第では一生引きずります。
親御さんに考えていただきたいのは、
その言葉を支援者などに伝える目的です。
合理的配慮をお願いしたい!
だとして、合理的配慮というものの内容やその先にある世界まで
どうせならばしっかりと把握していただきたいんです。
そうでなくては、
ただただ差別的な対応を受ける事になります。
一見すると優しい・・・一見すると、お子さん自身も楽になったような
そんな光景に見えるかもしれませんが・・・、
差別的な合理的配慮の先にあるのは、
その差別化された中でなくては生きていけないお子さんの未来です。
勿論、それが目的であれば全く問題はないんですが・・・
お子さんの前でお子さんの出来ない事や苦手を
プレゼン出来てしまう親御さんは本当に注意が必要です。
それをしてしまう親御さんはある意味ではお子さんの事を理解し、
お子さんの為にと言う事でそれを行ってる節があると思います。
が、
前述した合理的配慮をお願いした上で、他者がその配慮を行うだけでも
お子さんはその配慮から自分が社会の中でどんな存在であるか、
他者と比べてどうであるかを認識しやすい状態になるんですから、
親御さんがハッキリとうちの子はこうだ!
と他人に話している姿を見る訳ですから、
その説得力は物凄いものです。
その後、支援に当たる人間がそれを前提に全く目の前の本人を無視して
配慮ゼロの支援計画なんぞ立てようものであれば、
もはや本人の人権無視、本人の本心、本音は完全軽視の世界です。
しかし、
「うちの子が説明できないから私がしています。」
親御さんの心としてはそういう要素が強いのでしょう。
これが信じられないかもしれませんが、
一桁代の年齢のお子さんをお持ちの親御さんから、
20代30代40代50代になっても変わらないんです。
「うちの子が出来ないから私(親)がやる。」
と言う理念から起こる行動なんです。
出来ないからやってるのか・・・やってるから出来ないままなのか・・・
難しい問題です。

見学にいらっしゃった、お子様を連れた親御さん。
今まで受けてきた福祉サービスへの不満と文句を口にしながら、
お子さんの不得手を全力でプレゼンしてくださります。
お子さんが目の前にいたので僕は当然のように確認。
お子さんは不得手を苦々しい顔で認め、その後も親御さんが話す。
僕はその親御さんの訴えに対して、ハッキリと出来る事と出来ぬ事、
福祉という場においての限界の部分、社会性というものの重要性、
色んな事を話した上でお子さんが話せる空気を作っていった。
親御さんは「うちの子には難しくて理解できない。」と訴える。
僕は確信を持って親御さんに伝えた。
「お子さんは理解してくれてますよ。僕は顔を見てお子さんの目を見て
どう感じてくれてるのか感じながらしゃべっていますので、ね?〇〇君。」
すると、
〇〇君は親御さんにその場で初めて反抗をした。
「僕なりに全部じゃないかもしれないけど、わかってるつもりだよ!」と。
ね。親御さん。
残念ですが、長年の親子のやりとりの中で関係性は
かなり強固に凝り固まっている・・・シンプルに解消されない。
親御さんがマイナスプレゼンし、出来るか出来ないかの基準も親にある。
本人は成功体験が少なければ、言うまでもなく親が正しくなる。
失敗体験をさせぬ為の親の思考は、
成功回避とも取れる訴えを正当化させる。
さて、僕との出逢いがどうなるか?
僕との出逢いがあなたにとってどんな意味を持ってくるのか・・・
僕はあなたの可能性しか見ていません。
様々な事業者、窓口とあなたが適切に出逢えますように
こもっと!頑張らせていただきます。