あなたにこもっと!
こもっと編集長の山田です。
別段これは一般的な目線だと思うし、
それでこの世の中成り立っている訳ですから・・・
全然良いんです。
なーんも批判したいとも思いませんし、
みんなが僕みたいな考えを持つ事が必要だ!なんて・・・
偉そうなことを言うつもりもありません。
ただ、普通にこういう事を言う奴もいて良いんじゃないか?
って思うから書いてみたいと思います。
以前、お仕事で発展途上国との文化交流に絡んだことがあるんですが・・・
その時、同行した日本のマダムたちが、潤んだ瞳で正義感に満ちた声で
「可哀想・・・。」
「なんとか彼らを幸せな方向に支援してあげたい!」
そう話していた・・・。
僕は単純な疑問をミーティングで投げた。
「彼らの何を見て可哀想って言ってるのかわからない。」と。
僕はむしろ、途上国の子供達の笑顔に
自分自身のアホみたいな欲深さを感じ、恥ずかしささえ覚えた。
彼らは幸福を知っていて、僕は本当の意味での幸福を一切知らぬ
苦労知らずの、温室育ちなんだと理解した。
そして、
今、目の前にいる人達はその温室の中から、
サバンナの動物の逞しさを見ながら、
「狩りをしなきゃいけないなんて・・・可哀想・・・。」
「自分の足で走らなきゃいけないなんて・・・大変ね~。」
と話してる的外れ野郎に見えてしまったんだ。
障がい者の就労。また障がい者支援を画像で検索したり、
イラスト検索すると・・・こんなようなものが出てくる。
この中に、鬱や統合失調、解離性同一性障がいや摂食障がい、
睡眠障がいの方が描かれているかどうかってのは全くわからない。
社会一般的な障がい者支援ってのはやっぱりこういう事なんだろうと思う。
足が不自由な方に対してのバリアフリー。
耳が聞こえない人への合理的配慮。
とてもわかりやすい支援。
じゃあ、その単純思考でいきましょう。
人間関係が苦手な対人恐怖症。不安適応障がい、強迫性障がいなどを
抱えて登場した目の前の誰かに対してどう対応しますか?
うん。あまり刺激にならないように・・・
不安を解消する為にいっぱい大丈夫だよ。大丈夫だよ。って話して、
なんなら不安材料消してあげましょう。人が苦手なら
あまり人と関わらないで済む環境でお仕事とか・・・?
ご自宅に居ながら出来るなにかを・・・。
強迫性障がいもあるなら、あらゆるものを一緒に確認して回りましょうか。
気が済むまで確認していただいても大丈夫なようにしてもいいです。
うん。
素晴らしい対応・・・ありがとうございます。
それってでもさ・・・
めっちゃ頑張ってその人ひとりだけを
全力支援して成り立つ状態な訳ですよね。
それにどれだけの人を割きましょうか?
その対応にどれだけの時間とお金を使いましょうか?
その方の不安は次から次へと生まれたとしたら、
それに対しても対応しますか?
その方の訴えが変わったら、それもまた対応しますか?
僕が見てきた精神障がい福祉の世界だと・・・
大抵、対応に限界を感じたら
手のひらを返したようなやりとりが始まります。
だからこそ・・・
綺麗事だけ、軽々しく言ってる光景に対して
言葉を許されてる場面では疑問を投げかけてしまうんです。
面接で素敵な答えをくださる方に対しても・・・うん。
その素敵を絶対に裏切らずにやって欲しいからね・・・うん。
死にたいって人にどう対応しますか?
「とにかく生きていれば良い事がある!
それを信じてもらえるように支援します!」
そっか・・・じゃあ、絶対、確実に良い事起こしてあげてくださいね!
その方にとっての良い事ってなんなんでしょう?
「それを寄り添って聴き取るんです。」
うん。僕もそこはそうするね・・・。聴き取りは絶対だよね。
でもさ、あなたの場合、生きていれば良い事がある!
その真っ直ぐ過ぎる一般的な常套句を前提に聴き取りをしていくんだよね?
危なくないかなぁ・・・??
もしも聴き取りの中で、良い事なんて何も期待してない様子や、
強めな絶望を投げられたら・・・?
でも生きてる事が良い事であるあなたは・・・
必死になって強めに希望を押し付けるんじゃないですか?
あなたの希望を。
死ぬのはいけない事っ!
そう思って生きてるなんて可哀想!
変よ!変だわ!なんとかしなきゃ!
これは・・・差別とは違うんでしょうか?
鬱々しちゃう人!って括って、言うべき事を言わぬようにする事は
鬱々しちゃって苦しんでる人に希望を見せぬ行為だと思わないのかなぁ?
鬱々しちゃう人ですから、あまり刺激がありそうな場には呼ばないよね?
プライベートも含めて関わるとしたら、結構気を遣うんだろうね?
って事は距離は絶対だよね。
あなたは確実にその人に線を引くよね。
ある一定の距離感で関わるのは絶対だよね。
それを聞いてどう思います?
障がい者差別発見しました?
そういうのが無い世界を目指しますか?
なんだか他者の悪事を見つけたような、
なんだか自身の中の悪意を見つけたようなそんな感じになりました?
もしもそうなったとしたら、
あなたは引っ掛かったね。
物凄く、美しい倫理観というやつをお持ちなんでしょうが・・・
それが世の中を歪めるんだと僕は思っています。
この話もララホームという僕が経営する施設では当たり前にしていますが、
この世界には確実にある程度の基準があります。
当たり前過ぎるぐらいの基準です。
それは別段罪深いものだ!とか断罪するべきものではありません。
それこそ人権。それこそ自由。それこそ人生と呼ぶべきものです。
自分が大切にしているマイホームがあれば、
そのマイホームに入って来てOKな人に基準があるでしょうし、
大切な家族がいたとして、その家族と接して良い基準もあるでしょう。
一緒にご飯を食べたいと思う人にも基準はあるでしょうし、
一緒に寝泊まりをするならば・・・勿論あるでしょう。
手を繋ぐ基準も、抱きしめあえる基準も、
1時間一緒にいる人の基準も、
10時間以上一緒にいられる人の基準も、
人それぞれ確実にあるんです。
例にしたのはたまたま鬱々する人でしたが、
そういう情報をもらった上でその中のどこまで許せるのか・・・?
それは人それぞれなんです。
それを社会的ルールでなんとかしよう!
差別解消だ!!!差別するなっ!!!なんてやるから、
逆に健常者差別なんてアホが起こる。
人として見ようよ。障がい者としてじゃなくてさ。
僕はこれの突破口はそれしかないと思っています。
さあ、僕の考えは異常かな?
異常だよね?
みんなが正常。
だから、僕は今日も障がい健常関係なく
色んな人と笑いながら、時に意見交換もしながら、
世の中に反して生きるんだ。
ありがとう。美しい世界。住みづらいよw
様々な事業者、窓口とあなたが適切に出逢えますように
こもっと!頑張らせていただきます。